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福島地方裁判所いわき支部 昭和43年(ワ)296号 判決

原告

小湊義意

被告

雁部正治

ほか一名

主文

被告らは、原告に対し、各自二、〇七三、五七九円及びこれに対する昭和四三年一二月二日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の負担とし、その一を、被告らの連帯負担とする。

この判決は、被告らに対し、それぞれ五〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、かりに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告らは、各自、原告に対し、一〇、三一一、〇五四円及びこれに対する昭和四三年一二月二日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一  被告雁部は、被告会社の従業員であるが、昭和四三年八月二日午後一一時五〇分頃、双葉郡広野町大字上北迫字石名坂五七番地先国道六号線上において、被告会社所有の普通貨物自動者(岩手一ゆ四、八〇五号)を運転して、東京方面から仙台方面に向けて進行していたが、前方の車両を、センター・ラインを越えて追い越し、ふたたびセンター・ラインから左側に入ろうとしたところ、仙台方面から東京方面に向けて進行中の原告車両前部に、被告車両の右側部を衝突させ、原告は、右事故により、右肩関節離断(右上肢高度挫滅、血管断裂)、頸部、口唇部胸部挫創による入院四ケ月通院加療一ケ月を要する重傷を負つた。

二  本件事故は、被告雁部の重大な過失によるものである。すなわち、追越しをしようとする車両は、反対の方向からの交通及び前車の前方の交通にも十分に注意し、かつ、前車の速度及び進路並びに道路の状況に応じて、できるかぎり安全な速度と方法で進行しなければならないのにかかわらず、被告雁部は、対向車に注意を払わず、慢然、追越しをはじめ、センター・ラインから右側に出るや、対向車を発見したが、追越しはできると軽信し、強引にそのまま前車と併進し、対向車たる原告車両に接近して、危険を感じ、ハンドルを左に切つたが、間に合わず、被告車両のやや後寄り右側部を道路の右側部分の中央を対抗してきた原告車両に激突させたもので、被告雁部の過失に基づくことは明らかである。

三  被告会社は、被告車両を所有し、自己のため運行の用に供していたもので、事故当時も被告会社の従業員たる運転手の被告雁部が材木を積載して東京に行つての帰途であるから、自賠法第三条により、被告雁部は、民法第七〇九条により、原告に生じた損害を賠償しなければならない。

かりに、被告会社が所有者でないとしても、商法第二三条、民法第一〇九条により責任を免れない。被告は、名義貸しについて、名義貸人と実質的所有者との間に実質的関係が存在しなければならないとか対外的に表示したこともないと主張するが、訴外三浦寛市は、被告会社の事故係で、被告雁部は被告の従業員であると述べているのであるから、被告会社は責任を免れることはできない。

四  原告の損害は、次のとおりである。

(一)  入院加療等により支出した損害、四四五、一八二円、

(イ)  二六四、〇二二円、原告は、昭和四三年八月三日から昭和四三年一二月三日まで、竹林病院に入院、治療し、上記金額を支払つた。

(ロ)  九〇、〇〇〇円、原告は、昭和四三年八月三日から昭和四三年一〇月三一日まで、原告の父親等に附添つて貰つたが、その附添費一日、一、〇〇〇円として、上記金額が相当である。

(ハ)  二六、六〇〇円、原告は、前記入院中、雑費を要したが、一日二〇〇円として、一三三日分、二六、六〇〇円、

(ニ)  五四、〇〇〇円、原告は、常用手部能動式右肩義手二八、〇〇〇円、作業用手部能動式右肩義手二六、〇〇〇円計五四、〇〇〇円を購入し、同額の損害を蒙つた。

(ホ)  一〇、五六〇円、原告は、昭和四三年一二月三日退院し、その翌日昭和四三年一二月四日から同年一二月三一日まで、竹林病院に通院し、治療費一日三〇〇円、バス代一日往復一四〇円を要し、二四日分合計一〇、五六〇円を支出し、同額の損害を蒙つた。

(二)  逸失利益、一〇、二二五、八七二円、

(イ)  一、〇八〇、〇〇〇円、原告は、中学校を卒業するや、父小湊長松の土木建築請負業に従事し、給料として、毎月四〇、〇〇〇円を貰つていたが、本件事故により、右上肢切断という不具者となり、社会復帰するためには、一年間の職業訓練を受けねばならないため、事故時である昭和四三年八月から昭和四五年一〇月まで、完全な無収入となり、二七ケ月分、一、〇八〇、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を蒙つた。

(ロ)  九、一四五、八七二円、原告は、中学校を卒業し、父小湊長松の経営する土木建築業に従事し、三年間の見習いを経て、事故当時一人前の大工として、月収四〇、〇〇〇円であつたが、将来の収入は、次のとおりと考えられる。

〈1〉 二三から三〇才までは、三、八四〇、〇〇〇円、

原告は、現在から三〇才までは、父小湊長松と共に土木建築業に従事し、現在のとおり、月収四〇、〇〇〇円と考えられるので、八年間の合計は、三、八四〇、〇〇〇円となる。

〈2〉 三一才から六〇才まで、二五、二〇〇、〇〇〇円、

原告は、三一才から六〇才までは、自ら建築請負業を中心として行い、毎月七〇、〇〇〇円の収入があるから、年間八四〇、〇〇〇円、三〇年間で、二五、二〇〇、〇〇〇円となる。

〈3〉 原告は、合計二九、〇四〇、〇〇〇円の収入が得られる筈であつたところ、本件事故により、右上肢を肩関節から切断されたため、労働能力を喪失し、労働基準法施行規則別表第二、身体障害等級表によれば、第四級に該当し、労働省労働基準局長通達昭和三二年七月二日付基発五五一号の労働能力喪失表によると、喪失率は九二パーセントとなり、少なく見積つても、六〇パーセントの収入減と見るのが相当である。そこで、三〇才までの年間収入は二八八、〇〇〇円、三〇才から六〇才までの年間収入は五〇四、〇〇〇円の収入減となり、これをホフマン式計算方法により、一時に請求する金額に換算すると、二三才から三〇才まで、

480,000円×0.6×6,588=1,897,344円

となり、三〇才から六〇才まで、

840,000円×0.6×(20,970-6,588)=7,248,528円

となり、合計九、一四五、八七二円の得べかりし利益を喪失し、これに前記一、〇八〇、〇〇〇円を加えると合計一〇、二二五、八七二円となる。

(三)  慰謝料、二、〇〇〇、〇〇〇円、

原告は、本件事故により、家業たる土木建築業を継ぐこともできず、婚姻前の青年が、右上肢を切断しての生活は、苦脳の連続であり、この肉体的、精神的苦痛に対しては、二、〇〇〇、〇〇〇円をもつて、慰謝されるのが相当である。

(四)  弁護士費用、二〇〇、〇〇〇円、

原告は、本件訴訟を、弁護士に委任し、その費用として、一〇〇、〇〇〇円を支払い、成功報酬として、一〇〇、〇〇〇円を支払うことを約した。

五  そこで、被告らは、原告に対し、右合計一二、八七一、〇五四円の損害賠償義務を負うが、原告は、自賠責保険から五〇〇、〇〇〇円、後遺症第四級の補償分として、二、〇六〇、〇〇〇円合計二、五六〇、〇〇〇円を受領したので、これを控除して、一〇、三一一、〇五四円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四三年一二月二日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員の支払いを求めるため、本訴に及んだ。

と述べ、被告らの抗弁を否認した。〔証拠関係略〕

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

一  請求原因第一項のうち、被告雁部が昭和四三年八月二日午後一一時五〇分頃、本件加害車両を運転して、双葉郡広野町大字北迫字石名坂五七番地先国道六号線上を、東京方面から仙台方面に向けて進行し、前方の車両をセンター・ラインを越えて追越し、ふたたびセンター・ラインから左側に入ろうとしたところで、仙台方面から東京方面に向けて進行中の原告車両と衝突したことは認めるが、その余は争う。

二  同第二項は争う。自動車運転手は、上り坂の頂上附近においては、徐行し、登りきつたところで、一時停止なり徐行して、前方道路の交通状況を確認し、対向車両の有無及びその状況等に十分に注意して運転しなければならないのに、前方を確認せず、無免許かつ酩酊の上、また、右側前照燈が故障のため点燈しないまま、右腕を出して左手のみで運転走行したもので、本件事故は、原告の右過失に基づくものである。

被告雁部が、本件追越しにかかつたのは、坂の頂上にいたる一五〇メートルも手前のことで、対向車もなかつた状況におけるものであるから、被告雁部には、全く過失がない。

三  同第三項は争う。自賠法三条に関する名義貸しの責任については、車両名義人と実質的所有者ないし使用者との間の実質関係を考慮し、そこに実質的な指揮監督関係がある場合に、車両名義人の責任を認めようとするもので、単なる名義貸しであるということだけで、直にその責任があるといつているものではない。昭和三八年六月二八日東京地方裁判所の判決は、名義貸人は、自家用自動車を保有しておらず被告車のみを使用していたものであり、名義の対外的使用も許し、被告車の所有者は名義貸人の運送の依頼を優先的に扱うなどの実質的関係が存在していたものである。本件において、登録原簿への所有名義の登録を被告会社が三浦産業に許可した事実はあるが、これを対外的に表示したことはなく、本件被告車の横に大書されている表示も前名義貸人である東磐木材協同組合名であつて、被告会社名ではなく、また、被告会社は、全くの顧客として三浦産業に材木の運搬を依頼したことはあつたが、特別運賃を安くして貰つたこともなく、また、三浦産業にのみ運送を依頼していたのではない。その上、被告会社には、営業用自動車として、トラツク一台、小型トラツク一台、ジープ、乗用車各一台を所有していたのであつて、税金対策の名義貸しなどに関する判例と同じく、被告会社の責任は否定さるべきである。

四  同第四項は争う。

五  同第五項のうち、原告が自賠責保険から、二、〇六〇、〇〇〇円を受領したことは認めるが、その余は争う。と述べた。〔証拠関係略〕

理由

被告雁部が昭和四三年八月二日午後一一時五〇分頃、本件加害車両を運転して、双葉郡広野町大字北迫字石名坂五七番地先国道六号線上を、東京方面から仙台方面に向けて進行し、前方の車両をセンター・ラインを越えて追越し、ふたたびセンター・ラインから左側に入ろうとしたところで、仙台方面から東京方面に向けて進行中の原告車両と衝突したことは、当事者間に争がない。

そして、〔証拠略〕を綜合すれば、次のような事実を認めることができる。

原告は、自動車の運転免許を持つていなかつたが、自動車の運転をし、懇意にしていたバーのホステス訴外新藤テル子を、いわき市四倉から楢葉町まで、二、三回迎えに行つたこともあつたが、昭和四三年八月二日午後七時頃、訴外新藤テル子から迎えに来るように頼まれたので、実兄小湊信意の小型貨物自動車(六三年式ダツトサン福島四せ九、七六四号、名義は佐々木某のもの)を自ら運転していわき市四倉を出発し、同日午後一〇時四〇分頃、訴外新藤テル子の働いている楢葉町のバー「天国」に着き、同一一時五〇分頃、訴外新藤テル子を助手席に乗せて、楢葉町を出発し、いわき市四倉に向つた(なお、原告が飲酒をして、酒気を帯びていたかどうかの確証はない。)。

被告雁部正治は、昭和四三年八月一日午後四時頃、被告会社の材木を積んで、本件加害車両を運転して、千厩町から東京に向い、深川へ荷を下し、翌二日午後三時頃、パイプ材七トン位を積んで、東京を出発し、同日午後一一時五〇分頃、双葉郡広野町大字上北迫字石名坂五七番地先路上にさしかかつたところ、本件現場は、富岡警察署の南方約一三キロメートルの広野伝習農場の近くで、附近一帯は起伏の多い地形で、現場には人家は見当らず、現場の国道は、山を切通し、低地を埋立てて造つた有効幅員七・五メートルのコンクリート舗装道路で、両側の幅一メートルの路肩は簡易舗装してあつて車両が通行でき、また、仙台方面から東京方面に向け緩い下り勾配になつており、坂の上下は、カーブになつているが見透しは悪くなく、現場の坂は下りきると平坦な直線道路になるが、上りきると左カーブの下り勾配になつており、被告雁部は、時速四〇キロメートル位で進行していたが、先行する大型トレーラーに追いつき、対向車も発見しなかつたので、追越しをしようとする車両は、反対方向からの交通及び前車に充分注意して、道路の交通の状況に注意して、安全な速度と方法で進行しなければならないのに、まん然、これを追い越そうとして、右トレーラーと並行したころ、前方からライト一つの車両が走つてくるのを発見し、単車が走つてくると思つていたが、減光したライトで四輪車であることが判明し、大型トレーラーに衝突しないようにハンドルを左に切つたが及ばず、右肘を窓枠に乗せて運転し、衝突直前まで加害車両を発見せず、ハンドルも左に切らず、ブレーキもふまなかった原告車両の右側前部を、自車の右側後部タイヤー部から後方ボデーにかけて衝突させ、よつて、原告に対し、入院加療四ケ月、通院加療一ケ月を要する右肩関節離断、頸部、口唇部、胸部挫創の傷害を負わせた(右事実からすると、原告は相当のスピードで前方注視を怠つて、本件被害車両を運転していたものと推認される。)。

右事故の結果、原告は、昭和四三年八月三日から昭和四三年一二月三日まで、入院、治療し、医療費として、合計二六四、〇二二円を支出し、同額の損害を蒙り、昭和四三年八月三日から昭和四三年一〇月三一日まで、実父である訴外小湊長松らに附添つて貰い、一日一、〇〇〇円として、九〇、〇〇〇円の損害を蒙つた。また、入院期間中雑費として、一日二〇〇円、一三三日分、二六、六〇〇円を支出し、常用手部能動式右肩義肢二八、〇〇〇円、作業用能動式右肩義肢二六、〇〇〇円計五四、〇〇〇円を購入し、同額の損害を蒙つた。

また、原告は、昭和四三年一二月三日退院し、その翌日昭和四三年一二月四日から同年一二月三一日まで、前記竹林病院に通院し、治療費一日三〇〇円、バス代一日往復一四〇円を要し、二四日分合計一〇、五六〇円を支出し、同額の損害を蒙つた。

原告は、中学校を卒業するや、実父小湊長松の土木建築請負業に従事して、一年間大工の見習をし、その後、一年半位東京で修業し、帰郷後は、給料月四〇、〇〇〇円、残業手当五、〇〇〇円位を貰つており(独立して、他で働けば月額七〇、〇〇〇円位となる。)大工の協定賃料は当時一日二、三〇〇円、昭和四三年は二、〇〇〇円で、六四、五才まで、就業することが可能であつたところ、昭和四〇年八月から昭和四五年一〇月まで二七ケ月間、完全な無収入となり合計一、〇八〇、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を蒙つた。また、二三才から三〇才まで、八年間は毎月四〇、〇〇〇円合計三、八四〇、〇〇〇円、三一才から六一才まで、三〇年間は毎月七〇、〇〇〇円合計二五、二〇〇、〇〇〇円の収入が得られる筈であつたところ、事故のため片腕を失い、現在は、小、中学生等を相手の貸本屋を営み、月収は四、〇〇〇円ないし五、〇〇〇円にすぎす、少なく見積つても、六〇パーセントの収入減となつたから、(労働基準法施行規則別表第二身体障害等級表によれば、第四級に該当し、労働省労働基準局長通達昭和三二年七月二日付基発第五五一号労働能力喪失表によると、喪失率は九二パーセントとなる。)、三〇才までの年間収入は二八八、〇〇〇円、三〇才から六〇才までの年間収入は五〇四、〇〇〇円の収入減となり、これをホフマン式計算方法により、中間利息を控除して、現価を求めれば、二三才から三〇才まで、

480,000円×0.6×6.588=1,897,344円

となり、三〇才から六〇才までは、

840,000円×0.6×(20,970-6,588)=7,248,528円

となり合計九、一四五、八七二円の得べかりし利益を喪失し、これに前記一、〇八〇、〇〇〇円を加えて、合計一〇、二二五、八七二円となり、同額の損害を蒙つた。

また、原告は、本件訴訟を弁護士に委任し、その費用として、一〇〇、〇〇〇円を支払い、成功報酬として、一〇〇、〇〇〇円を支払うことを約した。

また、原告は、本件事故により、右上肢を切断して、精神的肉体的苦痛を蒙つたが、これに対しては、二、〇〇〇、〇〇〇円で慰謝されるのが相当である。

ところで、本件加害車両は、当時、訴外三浦寛市の所有であり、同人は、昭和三八年から運送業を営んでいたが、陸運局から営業許可を貰つておらず、本件車両は、最初、訴外首藤新平、次に、訴外東磐木材協同組合、次いで、被告会社の名義を借りて登録し、被告会社の代表者小野寺徳治は、訴外三浦の父の時代から懇意にし、本件名義の借用については、右徳治の長男で、被告会社の一切の業務をしている専務取締役小野寺時男の承諾を得、このことは右小野寺徳治も了承しており、しばしば、訴外三浦産業は、被告会社の木材の運搬をし、本件事故も、被告会社の木材の運送中であつたが、本件車両には訴外東磐木材協同組合と記載されており、被告会社の社名は表示されていなかつたが、右事実からすれば、被告会社は、本件加害車両の保有者としての責任を免れないと解するのが相当である。

以上のように認めることができ、ほかに右認定を左右するに足る証拠はない。

そこで、被告らは、原告に対し、自賠法第三条、民法第七〇九条により、それぞれ、前記損害一二、八七一、〇五四円を支払うべきところ、前記のように、原告にも、本件事故について過失があつたことは明らかであるから、損害賠償の額を定めるについて、これを斟酌し、その三割六分である四、六三三、五七九円の損害を賠償する義務があるが、原告が自賠責保険から二、五六〇、〇〇〇円の交付を受けたことは、原告の自認するところであるから、これを控除して、被告らは、原告に対し、各自二、〇七三、五七九円及びこれに対する不法行為の後で、本件訴状が被告らに送達された翌日である昭和四三年一二月二日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払う義務があるといわなければならない。

よつて、原告の本訴請求は、前記認定の範囲において、正当であるから、これを認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条第九二条第九三条第一項但し書を、仮執行の宣言について、同法第一九六条第一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉川清)

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